兄のパソコンを by さわべ



拝借して書いています。
走りに行ったのは良いんですが、
11時20分ほどから小雨がぱらつきだしまして、
1時間ほどかけるところをそこから逆戻り。
結局走ったのは35分程度でした。


鈴木翁二の少年が夜になるころを読み返す。
素晴らしい作品だ。
最初は「・・・ガロはなぁ〜」と思っていたのですが、
そんな偏見はすぐ吹っ飛んでしまうほど素晴らしい作品群です。
とくに「花嫁」という話は素晴らしい。SFだ。
あと「さかさま」の語感も素晴らしい。


「―鉄棒の頂きでは―だれかのかんだチュウインガムが…
モンスーンの雨と出会うだろ?」


キマタツトムさんを思い出した。
彼の詞もそうとう素晴らしいものがある。
どう読んだら正しい解釈なのか?
彼は言う。「―俺にもわからないっすよ」
こういうことなんだろうか。
音楽にしても、小説にしても、漫画にしても。
自分が自分の作品を一番解ってしまったら、
その作品はそこで足を止めてしまうのだろう。
してもらいたい解釈はあっても、正しい解釈なんてないんだな。
これは現国の授業とか受けてても思うんだけども。